【EIC 2026】欧州で加速するデジタルアイデンティティの社会実装と、DNPが描く未来
- デジタルアイデンティティ分野の最新トレンドをキャッチアップしたい方
- AIエージェント時代に向けた新たなビジネスやサービスを検討している方
- グローバルで進むデジタルトラストの潮流とDNPの取り組みを知りたい方
みなさんこんにちは。
DNP INNOVATION PORT運営メンバーの川俣です。
2026年5月、ドイツ・ベルリンで「European Identity and Cloud Conference 2026(EIC 2026)」が開催されました。EICはデジタルアイデンティティとデジタルトラスト分野における世界有数のカンファレンスであり、政策立案者や企業、技術者が集まり、最新動向やユースケースについて議論する場として知られています。2026年は1,500名を超える参加者と250名以上のスピーカーが集い、欧州を中心としたデジタルアイデンティティの現在地と未来像が共有されました。
今回DNPは、アジア太平洋地域におけるクロスボーダーIDの取り組みと、AIエージェント時代を見据えたデジタルアイデンティティのあり方について発表しました。本記事では、EIC 2026で見えてきた世界の潮流と、現地で登壇したデジタルトラスト事業開発ユニットの苗代暁彦氏へのインタビューを通じて、今後の展望をご紹介します。
EIC 2026で見えた3つの潮流
今年のEICで特に印象的だったのは、デジタルアイデンティティが単なる本人確認技術ではなく、社会インフラとして本格的な実装フェーズに入りつつあることでした。
一つ目は、EUDI Wallet(EU Digital Identity Wallet)*1の社会実装です。議論の中心は制度設計から実際の利用シーンや普及方法へと移りつつあり、欧州全体で本格運用に向けた機運の高まりを感じました。
二つ目は、AIエージェントとアイデンティティの関係です。AIがユーザーに代わって予約や購入、契約などを行う世界を見据え、人間だけでなくAIやシステムも含めた「ノンヒューマンID*2」が大きなテーマとなっていました。
三つ目は、クロスボーダー相互運用への関心の高まりです。国や地域ごとに異なるデジタルアイデンティティ基盤をどのようにつなぎ、相互に信頼できる環境を構築するのか。会場では多くの議論が交わされていました。
こうした潮流は、今回DNPが発表した2つのテーマとも深く関係しています。
※1 EUDI Wallet:EUが整備を進めるデジタルIDウォレット
※2 ノンヒューマンID:AIやシステムなど人以外の主体のデジタルアイデンティティ
DNPが発信した2つのテーマ
クロスボーダーIDの社会実装
DNPからは、APDI(Asia-Pacific Digital Identity Consortium)*3の活動を中心としたクロスボーダーIDの取り組みが紹介されました。
APDIは、日本、韓国、台湾、ミャンマーなどの企業が参加し、アジア太平洋地域におけるデジタルアイデンティティの相互運用を目指すコンソーシアムです。DNPはAPDIの創設メンバーとして、技術検証・ユースケース設計・事業者連携を主導しています。今回のセッションでは、日本と韓国をつなぐホテルチェックインのユースケースが紹介されました。
訪日外国人旅行者の増加に伴い、ホテルでは本人確認やチェックイン業務の負荷が課題となっています。APDIでは、デジタルクレデンシャルを活用することで、利用者が必要な情報を安全に共有し、業務効率化と利便性向上の両立を目指しています。
発表では、ホテル向けシステムとの実証を通じて、従来のアナログ手続きと比較してチェックイン時間を約52%短縮できたことも紹介されました。技術だけではなく、ホテル事業者との対話や法規制への対応を重ねながら進めてきた点も印象的でした。
※3 APDIについてはこちら:https://www.apdiconsortium.org/
AIエージェント時代のデジタルアイデンティティ
もう一つのセッションでは、「Delegating Digital Identity: Enabling Trusted AI Agents in Transactional Flows」をテーマに、AIエージェント時代のデジタルアイデンティティについて議論しました。
生成AIの進化により、今後はAIがユーザーに代わって予約や購入、契約を行う世界が現実味を帯びています。その際に重要になるのが、「誰がAIに権限を与えたのか」「AIはどこまで行動できるのか」を証明する仕組みです。
DNPは、ユーザーからAIへの権限委任(Delegation)を安全に管理し、信頼できる取引環境を実現するための考え方を提案しました。これは、AIエージェントが社会に広く普及していく未来を見据えた新たなデジタルアイデンティティの姿といえます。
では実際に現地で登壇した苗代氏は、EICをどのように見ていたのでしょうか。
IDは技術ではなく、“信頼の設計”そのものになっている
―― EIC 2026で特に印象に残った議論を教えてください。
苗代氏:
EIC全体を通じて強く感じたのは、アイデンティティがもはや技術だけの問題ではなくなっていることです。
会場では『Identity sits on borrowed trust』という表現がよく使われていました。つまり、アイデンティティはクラウドやOS、デバイス、規制、さらには地政学的な環境変化など、自分ではコントロールできない多くの要素の上に成り立っているという考え方です。
そのため、どのセッションでも『誰が信頼を保証するのか』『どのレベルの保証が必要なのか』『責任は誰が負うのか』といった議論が中心でした。技術仕様だけでは解決できない課題として捉えられていたのが印象的でした。
APDIは“実際に動いているクロスボーダーID”として評価された
―― APDIへの反応はいかがでしたか?
苗代氏:
非常に好意的でした。
欧州は規制や標準化に強みがありますが、一方で社会実装には時間がかかります。そのため、日本と韓国をつないだホテルチェックインの実証は、『実際に動いているクロスボーダーID』として高く評価されていました。
また、APDIは欧州のEUDI Walletと競合するものではなく、異なる地域をつなぐための橋渡し役として位置づけています。その点も欧州の参加者から前向きに受け止められていたと思います。
最大の課題は技術ではなく“信頼モデルの違い”
―― クロスボーダーID実装における課題について教えてください。
苗代氏:
技術的な課題よりも、信頼モデルの違いの方が大きいと思います。
例えば欧州は国家主導、米国はマーケット主導、アジア太平洋地域は民間と政府が協調するモデルです。それぞれ前提が異なるため、『どのレベルなら相互に信頼できるのか』を整理する必要があります。
また、失効情報の扱いや検証コストを誰が負担するのかといった課題もあります。クロスボーダーIDの実現には、技術だけでなく制度や運用面での合意形成が欠かせません。
AIエージェントには“意図”と“責任”を証明する仕組みが必要になる
―― AIエージェントとデジタルアイデンティティの未来について、どういった議論が行われていましたか?
苗代氏:
今回のEICでは、AIエージェントを単なるツールではなく、『ユーザーの意思を代理する存在』として捉える議論が進んでいました。
AIがユーザーの代わりに行動する世界では、『誰が何を承認したのか』を証明することが極めて重要になります。そのため今後は、意図を証明する仕組みや、権限委譲を証明する仕組みが必要になると考えています。
また、AIエージェントはウォレットの中に存在するわけではありません。ウォレットが証明書を保持する一方で、AIエージェントは実際に行動する主体です。そのため、新しいトラストレイヤーを設計する必要があります。
DNPはAPACと欧州をつなぐ存在になれる
―― 今後、DNPにはどのような役割が期待されるのでしょうか?
苗代氏:
私は二つあると考えています。
一つは、アジア太平洋地域における信頼の基盤づくりです。DNPは長年にわたり培ってきたセキュリティ技術や証明書技術を持っています。これらを活かしながら、地域を越えて利用できる信頼基盤の構築に貢献できると思っています。
もう一つは、AIエージェント時代の『意図と責任の証明』です。AIが社会に浸透するほど、誰が意思決定したのか、誰が責任を負うのかを証明する仕組みが重要になります。
さらにDNPは、政府、金融機関、企業、海外パートナーなど幅広いステークホルダーとの接点を持っています。だからこそ、欧州とアジア太平洋地域をつなぐ中立的なハブとしての役割も果たせるのではないかと考えています。
おわりに
EIC 2026を通じて見えてきたのは、デジタルアイデンティティが「本人確認技術」から「信頼を設計するための社会基盤」へと進化しつつある姿でした。
クロスボーダーIDの実装、AIエージェントの普及、そして地域を越えた相互運用性の確立。これらはいずれも、一企業や一国だけで解決できるテーマではありません。
DNPは、APDIを通じたクロスボーダーIDの社会実装と、AIエージェント時代を見据えた新たな信頼基盤づくりの両面から、デジタルトラストの実現に取り組んでいます。今回のEICで得られた知見も活かしながら、今後も国内外のパートナーと連携し、新たな価値創出に挑戦していきます。
DNPの分散型ID事業に興味のある方はこちらからご連絡ください。